剣魂56号 平成22年度・・・「訛懐かし」

2013年08月04日 10:57

剣魂56号 平成22年度・・・「訛懐かし」

 

今年は隣県の山口県下関市で国民体育大会が開催される。以後岐阜県、東京都、そして3年後の平成26年には、私の故郷である長崎県五島市で開催が決定している。

長崎県剣道連盟もその強化を着々と進めているようで、今回中学生、高校生、一般の選手が200名程参加した強化訓練会が行われた。その講師に私への要請があり、二日間の訓練会を終えてきた。

当初は、車で行く予定であったが、積雪の恐れも考えて電車で行くことにした。せっかくの機会だから、田舎に帰省してからにしよう。久しぶりに五島の後輩少年剣士と稽古もできるし。そんな思いに至りながら博多から航空切符を一ヶ月前に予約した。新幹線が広島駅を出発してまもなく携帯の着信がなり出した。”おばさん”とは私の師匠馬場武雄の奥様である。当年104歳。まさに天寿を全うされた。さざ波の動揺はあったが、すでにその五島に向かっていたわけで「わかった」の一言で電話を切った。結局五島の三日間は通夜と葬儀で終わり、少年剣士の勇姿と接することは叶わなかったが、おばさんに呼び寄せられたようであった。

自宅に帰り、亡き父の書類を整理していると、古びた新聞が出てきた。中国新聞の夕刊である。日付は平成元年5月27日となっている。”でるた”欄に表題の記事が写真入で掲載されている。当時42歳ということになる。

私の言葉には訛(なまり)があると指摘を受けることが良くある。本人はいっこうに平気なのであるが・・・。考えてみると、住み慣れた親元を離れた18歳の春から、既に20余年の歳月が流れていることになるが、未だに九州訛が抜けきれないのである。郷に入れば郷に従うことに対して、さほど抵抗はないつもりではいるのだが。

「ふるさとの山に向かいて 言うことなし ふるさとの山は ありがたきかな」

啄木の歌のとおり、故郷を後にして以来、私の心の中には絶えず思い出の山、思い出の川が存在している。毎年2回帰省するたびに、その山や川と対面することになるわけだが、当時の少年の姿を知っている自然は、現在の自分が如何に映し出してくれるのであろうかと考える時に、胸の高まりを覚えるのである。

しかし、そのたびに、都会の人混みの中で我を見失いそうになっている自分に、無力感を排斥する気力を蘇らせ、意欲を喚起し、一人で立ち向かって行けと激励の声を掛けてくれたような気がしている。

故郷には、自分が思っている以上に家族を始め、恩師・友人・知人等温かく見守ってくれる人たちが数多くいる。生きていくということは、自分自身がその期待される思いを胸に、自分の生命を燃やし続ける努力をすることだと考える。

私にとって故郷は、生き方の根本理念を形成していると言っても過言ではない。言い換えると、訛は笑いであるはずがなく、まして恥などでは決してない。

訛そのものに私の精神構造が恩恵を被っていることを考えると、何よりも大切にしていきたいものだと思っている。

「ふるさとの訛懐かし 停車場の 人混みの中に そを聴きに行く」(広島県安芸高校教諭 広島県剣道連盟理事)とある。

意義のある週末の旅であった。