2013年08月04日 09:21
剣魂53号 平成19年度・・・「変容の原点」
平成19年10月28日、東京日本武道館で行われた禅日本学生剣道優勝大会において、国士舘大学剣道部は12年ぶり12回目の見事な逆転優勝を果たした。
OBの一人として、その瞬間を目の当りにし、心から喜びの拍手を送りながら、熱くなる身体で感動に浸りつつ、どこか冷静に四十余年前の残像を捜し求めていた自分がいた。
というのも、本年度から広島大学剣道部の皆さんにご縁を頂き、この大会にも中・四国代表として監督という立場で、私自身久し振りに出場する機会を得ることができた訳である。
成績は、7名の選手が専修大学に対して一本も奪うことが出来
2013年08月04日 09:13
剣魂52号 平成19年・・・「弱冠の時代」 創部50周年記念号より
剣魂会のホームページを拝見しますと、初代師範の大森玄伯範士が部誌創刊号、20周年記念号、さらには30周年の記念誌へ玉稿を寄せられています。続く40周年にあたる平成9年には、二代目師範の中西康範士が記述されている文章に接することができます。時代の移り変わりは無常なものとは言え、50周年を迎える輝かしき節目の年に三代目の師範として就任することとなり、身の引き締まる思いの中で、その重責を痛感しているところです。
さて、毎年最近の成人式においては、若者の横暴な振る舞いのニュースが流されています。来賓祝辞の最中に数人が壇
2013年08月04日 09:11
剣魂51号 平成18年・・・「平常心」
生前、大森玄伯先生が”おやじ”と親しみと尊敬を寄せられていた昭和の剣聖斎村五郎範士は、「平常心」の言葉を好んで良く書かれていた。私が夢を抱いて上京した大学の剣道部の卒業生は斎村範士直筆の色紙を記念品として頂いていた。色紙には決まって達磨の一筆書きと共に「平常心」と記されていた。もちろんひとり一人への為書きである。頂けることを楽しみにして四年間を稽古に励んだわけであるが、当時晩年を迎えられていた範士の後姿を校内で二回ほど見かけたことはあるものの、ついにその凛々しい剣風を拝見することはかなわなかった。卒業後まもなくの三月82歳で亡くなられ結局念
2013年08月04日 09:08
剣魂50号 平成17年 「リセットボタン」
ワールドカップ予選の火蓋が切られ、わが日本代表のジーコジャパンも対北朝鮮に辛くも勝利し、まずまずのスタートを切ることができた。サポーターの誰もが「引き分け」を覚悟しなくてはならない残り時間一分、まさに奇跡的な「大黒様」の勝ち越しシュートがネットを揺らした。
私もご多分にもれずひとりマイテレビでの観戦であったが、一瞬目を離したときに決勝ゴールが生まれたのである。瞬間残念であったが、テレビ放映は良くしたもので、すぐに再生ビデオが流れてくれる。しかもスローモーションでも見ることが出来る。
昨年は広島市を遠く離れた関係で市民球場に足を運ぶこと
2013年08月04日 09:06
剣魂49号 平成16年 「大森玄伯先生」を偲ぶ会
2月14日に、生前大森先生が贔屓にしておられた「おい川別館」において、80歳代から30歳代まで交流を持っていただいた70名余りの剣士が一堂に会し、表題の会が催された。
会場には等身大の遺影が飾られており、今にもオッ・オッ・オッと先生の笑い声が聞こえてくるのではないかと錯覚を起こす雰囲気が溢れており、自然に背筋が伸びている自分を感じながらも、和気あいあいとした楽しいひと時を過ごすことが出来た。
先生が「拙守求真」を生涯座右の銘とされたことは、広く伝えられている。この言葉には、自分の短所(拙さ)を素直に認める(守る)度量の広さが
2013年08月04日 09:02
剣魂48号 平成15年・・・「夢」と「決意」
6月に行われた広島県高等学校総合体育大会の剣道競技では、久しぶりにおもしろい試合を拝見することが出来た。何がそう感じさせた要因なのかを私なりにかんがえてみると、次の二点に思い当たる。
その一つは、この大会が全国大会(インターハイ)の予選であるために「夢」を持てる大会だということである。「三年間、この日の為に苦しいことも乗り越えて、悲しいことも分かち合って、汗と涙を流しながらここまで耐えてきた。今ここで全力を尽くしなんとしても全国大会へ。」という気持ちの表れが、普段弱気になりがちな自分自身を奮い立たせる力となって最高の舞台で、最高の演技ができ易い場
2013年08月04日 08:55
「剣魂46号」 平成12年度・・・「緊張の一瞬」
我々の生活の場面では、いろんな形で緊張の一瞬が生じてくる。それは試験を受ける時であったり、人前で話をする機会にしてもそうである。また好意を抱く異性との会話。さらには、昇段審査とか試合前の時間は特に緊張する。多くの人はそんな時、失敗したらどうしようか。笑われるのではないか。嫌われるような言動を見せたくない。などいわゆる疑心暗鬼の不安要素ばかりに支配されてしまう。
そのことが結果的にマイナスに傾いていく傾向があることを知りながらも。
剣道ではそんな時、昔から修行の指針として、「不動心」 「平常心」 という言葉がある。
他のこと
2013年07月29日 22:35
「自己を磨く」
剣道は対人競技であるために、勝者と敗者がはっきりわかれる。二者択一であることは誰もが敗者よりも勝者を目指そうと、次回を期すための稽古をくりかえすことになっていく。若いときは、負けたことをどのように分析してみても相手よりすべてが劣っているのだという現実だけがおおいかぶさってきやすいものだ。悔しくて、ただただ相手に対し、敵対心を強く持つようになっていく。時には敵対心を通り越して、憎しみさえも抱くことが生じてくる。
ところがある時期、それは方向は間違っているのではないかという疑問に変化してくる。ひょっとして、相手に負けたのではなく、自分に負けてしまっているからではないのか。自分に負
2013年07月29日 22:27
「ルール」と「規則」
サッカーに限らず、テレビ放映されるスポーツ番組を、自分自身であれこれ想いをいたしながら観戦するのが、私の一番安らぐ時間である。
先のワールドカップでの日本代表の戦いでは、もどかしさを感じながらも、世界最高の水準でプレーする、その完成度の高さに感動を覚えた。
それでも見終えて後、心のどこかに割り切れないものが残っているのである。さて何故だろう。
何なかを探してみるとそれは警告・退場に及ぶ反則のプレーであることに思い当たった。サッカーでは、一流のプレーヤーは、反則すれすれのプレーを見事にこなせる技術を持っていることも一つの条件とさえ言われている。否、このことはサッカーだけに限
2013年07月29日 22:24
「無 題」
学生時代のことである。
「試合になると、持っている自分の力をどうして発揮できないのか。」
先生方や先輩・同僚によくそんな言葉をかけられていた。もちろん他人に指摘されるまでも無く、自分自身が一番悩んでいたテーマであった。
考えたことを言えば、強い選手の試合振りを見て、その見事な技を日々の研究の中に取り入れてみたり、試合運びを真似てみたりしたものの、糸口を見い出すことができなくて、自問自答する日々が続いていた。
そんな時、ふと思いついたのが自分の性格である。
それまで他のことに原因を見い出そうとばかり考えていたが、自分の内面を見つめることに意識の変化がなされていったのである。
幸いなこ